永坂更科
今から、二百三十余年前の寛政の初め、初代布屋太兵衛が江戸麻布永坂に信州更科蕎麦処 布屋太兵衛』の看板を掲げましたのが始まりです。これより以前に太物商の布屋清助が領主保科家に招かれ江戸屋敷内に住み、代々蕎麦打ちに長じていたことから、八代目清右衛門(初代布屋太兵衛)が時の領主のすすめで故郷の信濃国更級郡の『更』と領主保科家の『科』を賜り、地名の『永坂』を加え『永坂更科』としました。